夢を見たと夢を見る
ブログなり立ち話なり、その日見た夢の話って言うのはとてもつまらない。
寝て見た方の夢って、言葉で言い表せないくらい支離滅裂だ。
それでもこの前見た夢はとてもきれいだった。だから誰も見ていないだろうこのブログに書き記したいと思い記事を書いている。
千と千尋の神隠しという作品を日本国民なら大体の人が一度は見たことがあるのではないだろうか。作中に水上を走る汽車が出てくるのを皆様は覚えているだろうか。
僕は夢の中で浅いウユニ塩湖のような場所で横になりこの水上を走る汽車を眺めていた。時間帯は夜。一人でこの汽車を眺めていた。
空は見たことないほどの星空、で水色や紫色のコントラストがとてもきれいだった。
何の変哲もない夢。物語もない。ただ汽車が走る音を聴き、漠然と広がる空を見上げているだけの夢。それでも幸福を感じた。
幸せな夢を見た日の朝は大抵『なんで目が覚めてしまったのか』『もう一度寝たら続きが見れるのか』などといい、そしてとても大きな喪失感に苛まれる。
この夢も例外なく喪失感が襲ってきた。そしてこうも思った。
またあの場所に行きたいな
と。
僕は夢の中で僕が作り出した場所、情景に魅了されていた。起きてから一生懸命その情景をもう一度頭の中で作ろうと必死になったが、再現できなかった。
寝ているときには見られたものを、起きているときに見られないもどかしさ。
1週間前に見た夢も覚えていない。たぶんこの夢も来週には忘れ去っているけど、僕の脳もこんなにも綺麗な情景を描けるんだと感じ入った、夢の話。
話は変わるけど、夢をビデオクリップで保存する研究がだいぶん進んでるみたいですね。朝起きたときに自分が見た夢をモニター越しに見ることが出来る。
夢を見た時代から夢を見る時代に変わる日もそう遠くない。
だけど僕は夢は見るものではないと思うんだ。
夢は見たものだから美しい。きっと美しかった夢も、見えてしまえばつまらないものになってしまうんじゃないかな。
ばいばいきん。