あれから…
EP作るぞ!って言ってから一年…全く完成いたしません。
夏がどうたらって言ってたのに夏も終わってしまいました。
一応曲は4曲あるからいつでも完成しました!って言えるんだけど、全然夏じゃない。
作り直したらマシになるかと思ってたけど、マシにはならず。
ちんこ。
せっかくイラスト描いてもらったのに一向に完成しない。
どうしたものやら。
あの子が泣いてる
何が火付けなのか、僕の中で宇多田ヒカルが再燃しています。
6年ぶりに完全復活した宇多田ヒカルさんですが、本当に喜ばしいことですね。
僕が宇多田ヒカルが好きになった小学生の頃、父がよく聴いていて、その影響か僕の中では聴きなれたアーティストの一人でした。
小学4年生のときだったかな、スクエアエニックスから発売されたキングダムハーツというゲームで光という曲が主題歌となりましたが、その曲をCDプレーヤーに入れて、塾に通う途中ひたすら聴いてましたね。
MDプレイヤーは持っていなくて、ipodのような優れものもありませんでしたので、カバンの中にはいつも宇多田ヒカルのCDとかを入れてた気がします。
キングダムハーツ2にもpassionという曲もすごく好きでした。もうキングダムハーツ2の内容も全く覚えていませんが、エンドロールでこの曲が流れたとき、少し悲しい気持ちになったのは覚えています。
後僕と同じくらいの年代の人はカップヌードルのCMは強烈に残っているんじゃないでしょうか。
ああ、ここまで書いてまだ好きが止まらない。
エヴァンゲリオン新劇場版とかCASSHERNとか映画の主題歌もすごく好き。CASSHERNに関しては母親と
「全く意味わからん映画だね~」
と言いながら見ていて、宇多田ヒカルの『誰かの願いが叶うころ』が流れたとき、なんだかそれだけで感動しましたし、曲の力ってすごいと感じましたね。
そろそろ終わりますね、たぶんまた宇多田ヒカルのブログ書くと思う。
ばいばいきん
のだ。
ついこの前バカボンの記事を書きました。
今日もバカボンのパパの記事を書きます。
僕の世代で天才バカボンを見たことがある!という人はどれくらいいるのでしょうか。
天才バカボンの登場キャラは過激な人が多く、拳銃を打ちまくる本官さんや、バカボンのパパにいたっては平気な顔で人を殺します。
「はぁ…辛い…」とでもつぶやくと
「ならば死ねばいいのだ。辛くなくなるのだ」
「死ねばいいのに」とつぶやくと
「ならば殺せばいいのだ」
「全然眠ってない。」とつぶやくと
「ならば死ねば永遠に眠れるのだ」
といい、問答無用で殺すやばい人です。
でもなんか想像したらなんとなくスッキリしませんか?
理屈の通らない主張や炎上商法まがいなことを言うコメンテーター、著名人を動機もなく「ならば死ぬのだ」で片付けるんですよ。
タイムリーな話をしますと、五輪閉会式の日本のあの動画(マリオとかキティーちゃんが出るやつ」にケチをつけている人びとに
「ならばお前が作ればいいのだ。早く作るのだ」
と強制的に動画を作らせ
「お前の方がつまらないのだ。」
と一蹴してくれる訳です。
でもまぁ、バカボンのパパみたいな人と関係は持ちたくないですけどね。
ばいばいきん
歌詞を考えている
かなりお久しぶりになりましたが、幽島です。こんばんわ
広島に帰省してましたが、まだ広島にいます。広島は良いところです。
さて、本題に入りまして二週間ほど前に完成した曲を一週間ぶりくらいに聴いてました。
作曲したことがある人には伝わると思うのですが、作りたての曲って時間が経つと
「あれ?あんまり良くないな…」
ってなることがよくあります。
しかしですね、今回は
「あれ?こんなに良い曲だったけ?」
ってなってしまいました。自画自賛ですよ。気持ち悪いですねー。
さて、この曲は作り始める前に既に曲のタイトルを【タイムカプセル】と決めて制作を始めました。
起承転結を考えながらタイムカプセルというタイトルにあった夏らしい歌詞。そして涼やかなピアノに、キラキラでうるさくないノイズ。それでいてべたつかないスッキリとした甘さ。
制作する前に朧げにイメージしていたものをはっきりと輪郭がある状態で詰め込めることができた気がします。
今まで、こんなにも歌詞について考えながら作曲をしたことがなかったのでとても難産でした。
そして作詞をする中である問題にぶち当たりました。
歌詞の中に、《ボク》と《キミ》を登場人物が出てきます。どちらも幽島の中では男の子という設定です。
でも、曲の中で《僕》という男の子の一人称と《君》という二人称がでてきたら、絶対《君》は女の子だと思われるじゃないか!
となってしまい四苦八苦です。歌詞の中の登場人物の性別が変わるだけで、歌詞の伝えたい部分が陳腐化する可能性があるのです。
つまりは
「あぁ、この曲、昔好きだった女思い出して感傷に浸ってる男の話を歌詞にしたんだ。いかにも女々しい男が書きそうな歌詞だな。で?」
ってなる可能性があるのです。これは大問題!なんとかせねば…と
結局は対策案も思いつかないし、まあいっか!と言って妥協しました。
年齢とか性別って人称だけでは先入観とかでなかなか難しいですね
https://m.youtube.com/watch?v=tuyZ9f6mHZk
この曲とかも、そういうの意識してたのかな?
ばいばいきん
ルサンチマンの権化
盆ですね、盆には茄子とかに棒着けて飾ったりとかしますよね、僕はしたことありません。
メンサっていうよくわからん団体の簡易的なテストを自主的に受けてみた。制限時間30分のテストで、IQと上位何%なのかをテスト終了後に教えてくれた。
僕のIQは130らしいです。上位2.3%。メンサに入るには上位2%以上じゃないと駄目みたい。惜しい。
これを自慢にしたいけど、おそらく僕の周りの友人たちはこのスコアを悠々と超える人ばかりな気がする。むしろ僕はIQ100のスタンダードな人間だと思うのです。
ここのサイトでできるから試してみて、問題自体はパズルみたいで面白いし36問だから簡単にできるよ。
問題を解かずに適当に選択していってもIQ101だったからいい結果が出ると思うよ。
ばいばいきん
夢を見たと夢を見る
ブログなり立ち話なり、その日見た夢の話って言うのはとてもつまらない。
寝て見た方の夢って、言葉で言い表せないくらい支離滅裂だ。
それでもこの前見た夢はとてもきれいだった。だから誰も見ていないだろうこのブログに書き記したいと思い記事を書いている。
千と千尋の神隠しという作品を日本国民なら大体の人が一度は見たことがあるのではないだろうか。作中に水上を走る汽車が出てくるのを皆様は覚えているだろうか。
僕は夢の中で浅いウユニ塩湖のような場所で横になりこの水上を走る汽車を眺めていた。時間帯は夜。一人でこの汽車を眺めていた。
空は見たことないほどの星空、で水色や紫色のコントラストがとてもきれいだった。
何の変哲もない夢。物語もない。ただ汽車が走る音を聴き、漠然と広がる空を見上げているだけの夢。それでも幸福を感じた。
幸せな夢を見た日の朝は大抵『なんで目が覚めてしまったのか』『もう一度寝たら続きが見れるのか』などといい、そしてとても大きな喪失感に苛まれる。
この夢も例外なく喪失感が襲ってきた。そしてこうも思った。
またあの場所に行きたいな
と。
僕は夢の中で僕が作り出した場所、情景に魅了されていた。起きてから一生懸命その情景をもう一度頭の中で作ろうと必死になったが、再現できなかった。
寝ているときには見られたものを、起きているときに見られないもどかしさ。
1週間前に見た夢も覚えていない。たぶんこの夢も来週には忘れ去っているけど、僕の脳もこんなにも綺麗な情景を描けるんだと感じ入った、夢の話。
話は変わるけど、夢をビデオクリップで保存する研究がだいぶん進んでるみたいですね。朝起きたときに自分が見た夢をモニター越しに見ることが出来る。
夢を見た時代から夢を見る時代に変わる日もそう遠くない。
だけど僕は夢は見るものではないと思うんだ。
夢は見たものだから美しい。きっと美しかった夢も、見えてしまえばつまらないものになってしまうんじゃないかな。
ばいばいきん。